しばらく更新が滞ってしまいました…Mikiです。
もう2週間くらい前の話になりますが、東京都美術館で開催されている『マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展』に行ってきました。
平日というのに、ものすごい人でした。
今回は「有名な絵が来るんだって!」みたいなミーハーなノリで母と妹に便乗して行ったら、思わぬ感動に出会えたので記事にしてみました。
まだ行ってないよ!という方は、是非。フランスに行かずにして、本物のモネの名画に会えますよ。
苦難もあったけれど、生きてるうちに大成功したモネ
モネ展では、90点にわたるモネの作品からコレクション品まで、生涯にリンクした形で展示されていました。ここで、ちょっとモネさんについて解説しますね。
印象派の代表として有名なモネ(クロード・モネ)は、生前に成功したフランスの画家です。
大家の巨匠というと、ゴッホやゴーギャンのように生前はあまり評価されず死後にその才能が認められる…というイメージが強かったのですが、モネは生きている間に画家として成功し、死後もなお人気のある数少ない画家です。
十代のときに描いた風刺画(カリカチュア)が町中で人気となり、その稼ぎを画家を目指すための上京費用としてパリへ出向きます。モネ展では、当時の落書きのような”漫画ちっくな絵”も展示されています。
「生前に大成功!」と言っても、やはり下積み時代は長かったようで、世間的な成功を得られたのは50代になってからだったようです。
「散歩、日傘をさす女(1875年)」この有名な絵も、まだそれほど売れっ子じゃなかった時のものらしいです。
その間、あちこち移転したり、39歳で妻を癌で亡くしたり…。
また、逃げたパトロンの一家を引き取って、いきなり10人の子持ちになったり!!モネさん懐でけぇ~。
前妻亡きあとは、前述のパトロンの奥さんが後妻となって、引き取った子供も含めて家族になりました。めでたし!
辛い境遇に逢われていますが、家族仲良く暮らしていた模様が、モネの書いた家族の肖像がから読み取れました。
私が一番感動したところ
モネと言えば、有名なのが「水連」と「印象、日の出」です。
「印象、日の出(1872年)」こちらの絵が来ていましたが、残念ながら展示は終了してしまいました。
もちろん、この絵もその他の風景画も、まるでその場の空気を切り取ったような素晴らしい作品です。
臨場感とか、半端ない!!です。
でも私が感動したとこは、そこではなく。
一見「雑だなぁ~」と、思われる晩年の作品です。
晩年の絵が展示された空間に一歩足を踏み入れると、そこはもうキャンバスに絵の具をぶちまけたような荒々しいタッチの絵のオンパレード。
なぜ緻密な風景画を描いていた画家が、荒いタッチの画風になってしまったのか?
そこには、壮絶な理由があったのです。
成功をおさめ、順風満帆かと思われた晩年のモネですが、70歳を目前に白内障に侵されてしまいます。
1909年から1913年頃までは視力の悪化のため、あまり制作をしていない。この間、1911年5月には2番目の妻アリスが病死。実子のジャンも1914年に没した。出典:Wikipedia
晩年のモネの作品を背景を知ったうえで見ると、その情熱や熱い思いに涙が出そうでした。
それくらい迫力があるんです!(雑って言ってごめんよー!!と心の中で詫びるほど)
その絵がこちらです。
「薔薇の並木道(1920年)」その場の空気をまるごと写し取ったかのような絵でした。
まるで心眼で描いたかのような作品だと思いませんか?
1914年頃から制作を再開。縦1メートル、横2メートル、あるいはそれ以上の大キャンヴァスにもっぱら描くようになる。視力が悪くても、大画面に描き、遠くから眺めれば何とか制作できることがわかったからである。1922年には片目は強い光が分かる程度、もう一方の目の視力も極度に落ち、1923年には3回にわたって眼科の手術を受けた。最晩年の「日本の橋」や「バラの小道」をテーマとした作品群はほとんど抽象に近づいている出典:Wikipedia
画家にとって目が見えなくなるというのは、恐ろしいことだと思います。
私もいきなり色の判別が出来なくなったら、廃業です。
この絵を見ていたら、かすかな光をたよりに、その場の情景や空気感を一心不乱にキャンバスに描き取る、一人のおじいちゃんの姿が頭に浮かんできました。
上手く言えないのですが、その絵から人生観が伝わってくるのを感じることができました。
「絵ってこんなに感動するんだ!?」って、初めて思いました。
これは、実際に絵と相対してみないと実感できないことかもしれません。
もう展示終了まであまり日がありませんが、機会がありましたら是非足を運んでみてはいかがでしょうか?